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東京地方裁判所 昭和32年(刑わ)3191号 判決

被告人 沖チヨノ

主文

被告人を懲役二年に処する。

押収してある濃硫酸入り瓶一本(昭和三十二年証第一一九五号の二)、握り鋏三丁(三丁を布切れで束ねたもの)

(同証号の三)はこれを没収する。

訴訟費用は全部被告人の負担とする。

理由

(罪となる事実)

被告人は、二十四歳の頃満洲に渡り、結婚して奉天等に居住し、昭和十九年頃夫に死別して後は横木源内と内縁関係を結び、終戦を迎えて抑留され、昭和二十一年頃北支の日本人集結所に集結中、元軍人として同所に居合わせた谷良安(大正十五年六月二十五日生)と知り合い、同人が横木と同郷の関係から親しく附き合うようになつた。程なく被告人は内地送還となり横木と共に福島県郡山市において飲食店を経営していたが、昭和二十五年頃から谷が同所に足繁く訪れるようになり被告人も横木と別れて谷と同棲し、昭和二十六年十二月正式に同人と結婚するに至つた。その後昭和二十九年頃郡山の店を処分して上京し、その金を元手に谷は東京都大田区で運送業を営んだがこれに失敗し、その後同都内渋谷、池袋方面で共々飲食店等を経営しながら生活していたが、昭和三十一年頃被告人等が渋谷に居住当時近隣の間柄で知合いになつた加藤代志子(当二十九年)がその後も被告人方に出入りして谷とも親しくなり、同年九月頃からは谷の被告人に対する態度が冷くなつたので、これも谷と加藤との関係が深くなつたためであるとして思い悩むうち、同年十一月頃から谷は働きに出ると称してほとんど家に寄りつかず、同年十二月二十五日遂に別れ話を持ち出して当時の住居であつた国電池袋駅西口のトリスバーから家出してしまつた。やむなく被告人はバーを閉め、親戚に身を寄せてひたすら谷の居所を探し求めているうち、自分の知らない間に協議離婚の届出がなされていることを知つてますます焦燥にかられていたところ、昭和三十二年四月中旬頃、谷が同都大田区東蒲田二丁目七番地関口昌司方に下宿していることを知り、同月二十一日右関口方に赴いて谷の居室を調べたところ、アルバムから被告人の写真が剥がされ、また加藤から谷へ宛てた書簡等を発見するに及び両名の間柄が推察のとおりであつたことに確信を得て逆上のうえ同家を立ちいで諸所をさまよううち、谷への復しゆうの念がいよいよつのり、その顏に硫酸を浴せこれに傷害を与えて同人の反省を求めるに強かずと決意し、都内国電北千住駅附近の薬局から濃硫酸一瓶(昭和三十二年証第一一九五号の二はその残り)を購入し、更に同所附近で相手の反撃を防ぐための用具として握り鋏三丁(同証号の三)を買い求めてこれを布切れで束ね、同夜は都内国電品川駅で夜明けを待ち、翌二十二日右物品をたずさえて前記関口方に至つたが、同日は谷が夜勤のため帰宅しないことを聞き、請うて同家四畳半の間の谷の居室に宿泊方を求め、寝もやらず谷の帰宅を待ちうけるうち、翌二十三日午前九時五十分頃同所に立ち帰つて庭先に立つた谷と顏を合わせるや、同人が「珍しい人が来ているな」と云いながら濡れ縁にかがんで靴を脱ぎかけたとき、いきなり湯呑み茶腕(同証号の四)に入れた前記濃硫酸をその顏面に浴せかけたうえ、更に右居室前の庭先において前記握り鋏をもつてその顏面、頭部等をところ嫌わず突き刺す等の暴行を加え、よつて同人に対し長期間の入院加療(昭和三十二年十月二十九日現在においてその日数未定)を要する両眼失明を伴う顏面、両手薬物腐蝕並びに頭部、顏面刺創等の傷害を負わせたものである。

(以下略)

(裁判官 服部一雄)

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